張本勲の国籍と本名|なぜ帰化しないのか?壮絶な生い立ちの真相
日本プロ野球界において、前人未到の通算3085安打という金字塔を打ち立てた大打者・張本勲氏。引退後も『サンデーモーニング』の名物コーナー「週刊御意見番」で数々の鋭い提言を残し、球界の重鎮として確固たる存在感を放ち続けています。
日本生まれ・日本育ちでありながら、なぜ日本国籍を取得(帰化)しないのか。その背景には、幼少期に直面した想像を絶する過酷な生い立ちと、異国の地で子どもたちを育て上げた亡き母への深い敬愛がありました。本名「張勲」としてのアイデンティティを貫き通した波乱万丈の歩みを、当時の貴重な証言とともに紐解きます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:張本勲氏の国籍は大韓民国(韓国)であり、本名は「張勲(チャン・フン)」。
- 要点2:帰化を選ばない最大の理由は、差別の中で自分を育ててくれた亡き母への感謝と民族の誇りを守るため。
- 要点3:原爆被爆と右手の重度火傷という二重の逆境を乗り越え、日韓両国の球界発展に多大な足跡を残した。
【国籍と本名】張本勲は大韓民国籍|本名「張勲」に刻まれたルーツ

日本球界を代表する大打者である張本勲氏の国籍は、大韓民国(韓国)です。本名は張勲(チャン・フン / 장훈)。日本で生まれ育った在日韓国人2世として、現在に至るまで一度も国籍を変更することなく韓国籍を保持し続けています。
現役時代は登録名として親しみのある「張本勲」を名乗っていましたが、自らのルーツを隠すことは一切ありませんでした。日本プロ野球で外国人枠の適用を受けずにプレーできたのは、日本の学校教育法第1条に定められた学校(高校など)を卒業した在日外国人に対する特例措置によるものです。
彼がグラウンドで見せた並々ならぬ闘争心の根底には、常に「張勲」という自らの本名と民族に対する揺るぎないプライドが存在していました。
なぜ日本へ帰化しないのか?本人が明かした「亡き母との約束」

これだけの実績を残し、日本社会に深く溶け込みながら、なぜ日本への帰化を選ばなかったのか。張本氏はメディアの取材や自著の中で、その決定的な理由を明確に語っています。
最大の理由は、最愛の母・朴順分(パク・スンブン)さんへの深い感謝と敬意です。戦前・戦後の厳しい混乱期、異国の地である日本で女手一つとなって子どもたちを育て上げた母の苦労を、張本氏は誰よりも間近で見てきました。
「母がどれほどの差別や貧しさに耐えて私を育ててくれたか。その母からもらった名前と血筋を捨てることは、私には絶対にできなかった」
張本氏自身、少年時代から幾度となく理不尽な国籍差別に直面しました。高校野球時代には甲子園出場の夢を理不尽な理由で絶たれた経験もあります。しかし、そうした逆境に対しても母は「どんなに辛くても、堂々と胸を張って生きなさい」と教え続けました。帰化をしないという選択は、母の生き様に対する最大の敬意であり、自身の魂の証でもあったのです。
広島での原爆被爆と右手の火傷|逆境を力に変えた壮絶な生い立ち

張本氏の半生を語る上で欠かせないのが、幼少期に襲いかかった想像を絶する2つの悲劇です。
1940年に広島市で生まれた張本氏は、4歳の冬、暖をとるためのドラム缶の焚き火に誤って飛び込んでしまい、右手に重度の火傷を負いました。親指以外の4本の指が癒着し、右手の自由をほとんど失うという大怪我でした。本来右利きだった彼が、後に球界を席巻する伝説の「左打ち・左投げ」へと転向した背景には、この痛ましい事故がありました。
さらに翌1945年8月6日、5歳の時に広島で原子爆弾の投下(爆心地から約2.3kmの段原町)に遭遇します。奇跡的に倒壊家屋の隙間から救出されて一命を取り留めたものの、最愛の長姉・点子(てんこ)さんを原爆による大火傷で亡くしました。張本氏は日本プロ野球の現役選手・OBの中で唯一、被爆者健康手帳を所持する被爆者でもあります。
五体満足ではない右手と、戦争の深い爪痕。それらを言い訳にせず、血のにじむような猛練習でハンディキャップを克服した精神力こそが、超一流打者・張本勲の原点でした。
不滅の「通算3085安打」日本記録|数々の金字塔と圧巻の選手経歴
1959年に東映フライヤーズへ入団した張本氏は、プロ1年目から打率.275、16本塁打を記録して新人王を獲得。その卓越したバットコントロールと天性の選球眼から「安打製造機」と称され、日本球界の打撃記録を次々と塗り替えました。
残した主な通算成績と個人タイトルは以下の通りです。
- 通算安打数:3085本(日本プロ野球歴代1位)
- 通算打率:.3191(歴代3位 / 7000打数以上では歴代トップ)
- 通算本塁打:504本(歴代7位)
- 通算盗塁数:319盗塁
- 首位打者:7回(パ・リーグ最多記録)
- 最高出塁率:9回
- NPB史上唯一の「3000安打・500本塁打・300盗塁」達成
東映から読売ジャイアンツ、ロッテオリオンズと渡り歩き、1980年にはNPB史上初となる通算3000安打を本塁打で達成。1990年には野球殿堂入りを果たしました。グラウンドを去ってから長い年月が経過した現在でも、通算3085安打の金字塔は誰一人として破ることができていません。
韓国プロ野球(KBO)創設の立役者|日韓の架け橋となった功績
現役引退後の1981年、張本氏は祖国・韓国から持ち上がったプロ野球リーグ創設の構想に深く関わることになります。
当時、プロスポーツの基盤が整っていなかった韓国において、初代コミッショナー特別補佐官に就任。日本プロ野球で培ったノウハウや運営マニュアルを提供し、球団設立や選手のスカウト、指導者の派遣に至るまで無報酬で奔走しました。
その尽力が実を結び、1982年に韓国プロ野球(KBOリーグ)が開幕。張本氏は単なる日本球界のOBにとどまらず、日韓両国のスポーツ文化交流における架け橋として極めて重要な役割を果たしました。韓国球界でも今なお「韓国プロ野球生みの親のひとり」として絶大な敬意を集めています。
最愛の家族と私生活|妻・子供との絆と現在の活動
テレビ画面越しには歯に衣着せぬ辛口コメントで親しまれた張本氏ですが、家庭内では穏やかで家族思いな一面を持っています。
私生活では一般女性と結婚し、子ども(長女など)に恵まれました。幼い頃に父親を亡くし、母の手一つで育った経験から、自らの家庭においては「温かく何不自由のない生活を守ること」を信条としてきました。
長年親しまれた『サンデーモーニング』のレギュラーを2021年末で勇退して以降も、球界の節目や特別番組にゲスト出演を重ね、球界の後輩たちへ情熱的な眼差しを注ぎ続けています。名球会の一員としての活動や平和への願いを発信し続ける姿勢は、80代半ばを迎えた今も変わりません。
【張本勲の国籍】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:張本勲さんは日本生まれなのに、なぜ韓国籍なのですか?
A1:張本氏が生まれた当時の日本の国籍法(1950年以前の旧法およびその後の血統主義)に基づき、両親が朝鮮半島出身であったため韓国籍となりました。日本国内で出生しても自動的に日本国籍が付与されるわけではないためです。
Q2:張本勲さんの本名「張勲」の読み方は何ですか?
A2:韓国語の読み方では「チャン・フン(Jang Hun / 장훈)」となります。日本ではプロ入り後も通名として「張本勲(はりもといさお)」を使用していました。
Q3:なぜ名球会の入会資格に国籍は関係ないのですか?
A3:日本プロ野球名球会は「日本プロ野球の発展に貢献した大記録保持者」を称える組織であり、国籍による制限はありません。通算2000安打以上を達成した張本氏は、名球会の創設メンバー(会員番号1番)のひとりです。
まとめ:民族の誇りを貫き球界を照らし続ける不滅のレジェンド
張本勲氏が韓国籍を貫き通した背景には、母への深い愛と、自らのルーツに対する誇り高き信念がありました。広島での被爆、大火傷による右手の機能障害、そして理不尽な国籍差別という幾重もの試練を跳ね除け、打ち立てた3085本の安打は、人間の不屈の意志を証明する記録です。
自らのアイデンティティに誠実に生き、日韓両国の球界に不滅の足跡を刻んだ張本勲氏。その生き様と残した偉業は、時代が移り変わっても色褪せることなく、多くの人々に勇気を与え続けています。 (出典: 張 本 勲 国籍(Yahoo!ニュース))